家族という、最大の協力者にして一番のハードル
新しいことを始めるとき、超えなければならない一番のハードル。それは、夫を説得することだ。エコビレッジづくりに家族の協力は欠かせない。昨年くらいから、こんな場所ができたらいいなあというわたしの考えは話してあって、まあ、ゆくゆくはいいんじゃない? という反応だった。この「ゆくゆくは」という話が、いきなり現実味を帯びてきた事件のひとつが、この連載を始めたことだった(自分を追い込み、本格始動!)。
あるとき、わが家の荷物置き場になっている2階をリノベーションして、ゲストを迎えられる場所にしたいと話したことがあった。「この家には、お金をかけてもしかたない。2階に人なんか住めない!」想像通りの反応。このリノベーションが、みんなで暮らすというエコビレッジづくりの第一歩(連載のネタにもなるしね)と考えていたが、それを話すのも早計と思わせるほどのかたくなさだった。こんなときは、たいてい時間を置くのが吉と出るが、家族の了解も得られないまま、エコビレッジづくり奮闘記の連載をやっていいのか? と不安もよぎる。なので、夫の機嫌のよいときを見計らって、「マガジンハウスの『コロカル』というサイトで、北海道のことを書く連載が決まったよ」とだけ、伝えておいた。
エコビレッジづくりの土地を探し中。山を買っちゃう?
もともとアパートで4棟に分かれていたところに住んでいる。2階に行くのは外階段なのでゲストハウス向き。ただし、床はビー玉が転がるほど傾いている。
さて、ではどうやって説得する?そんなことを考えていたとき、わが家に東京から友人がやってきた。夫が東京で大学浪人をしている頃からのつきあいで、久々の再会に上機嫌!そして、このあたりを案内する車中で、「これからやりたいこと」の話になった。「エコビレッジをつくりたいと思っているんだ。目標は東京オリンピック前まで!」そんな話の勢いで、「でも、もっと早まるかも。だって、『コロカル』というサイトでエコビレッジづくりの連載も始めるの!!」車は、岩見沢から長沼へと向かうまっすぐな道を疾走する。さわやかな風が吹き抜けるなかを運転する夫は無反応だった。
なかなか手ごわい相手……。
2泊した友人が帰り、そのご機嫌な余韻の残るなか、「エコビレッジをやるには土地が必要だから、山、買いたいんだよね〜」と夫に言ってみると、それなら市役所に相談してみたらいいんじゃないかと、前向きな意見。やったーッ!!(心の叫び)いちおう、土地を探していること、エコビレッジづくりの連載を始めることまでは、情報開示済み。そして賛同も得られているようだ(2階のリノベーションの話はまた日を改めよう)。
ちなみに、夫の仕事は大工。ただし年のはじめに首のヘルニアをわずらい、骨を固定する手術を受けて現在療養中。6月になって、簡単な家具をつくったりするところまでは回復しているので、リノベーションは彼にやってもらいたいと思っているから、なんとしても納得してもらう必要がある。
台所の棚などは、全部夫の手づくり。
廃材を利用して、庭には鳥のエサ台もつくった。
さすがに来週、山探しのために森林組合連合会のアポイントをとったことを伝えたときには無言だったが、まずまず大丈夫かな?そう思ったのは、友人とジンギスカン鍋を囲みながら、夫が見たという夢の話を聞いたあとだったからだ。
夢の中で、わたしが山の土地を見つけてきて、「水源が汚染されていないかどうか知りたいから、何日間か野宿しながら沢を登って、確認してきて!」と言ったという。そうして夫は出かけるのだが、沢登りはかなりハードなもので、「えーっ、ここで落ちても誰も助けに来てくれないだろ!」と、命の危険を感じるくらいだったそう。
というわけで、夫も夢に見るほど現実的に考え始めているのだなと思ったが、この話にはさすがに苦笑した。こちらから見れば、やりたいことにいつも異議を唱える「目の上のたんこぶ」みたいな存在だが、夫から見ればわたしは「ムチャぶり、暴走機関車」に見えるのかも。無理もないとは思う。ムチャぶりは数えあげればきりがない。北海道への移住についても、あれは夫への相談ではなく脅迫に近かった。「今日会社で、北海道で在宅勤務をしていいという許可をもらってきたから、あと1か月くらいでわたしは実家に行こうと思う。だから、とうちゃんも会社を辞めて状況が整理できたら、一緒に来て!」そんなやりとりがあったのが4年前のことだった。
いまでも夫が、エコビレッジのことをどう思っているのかはわからないが、先日、わたしが連載がうまく書けないと苦しんでいたら、急に家の壁に看板を書いてくれた。フリーランスで編集の仕事をするためにつけた屋号〈ミチクル編集工房〉。なんと、デザイナーの友人につくってもらったロゴまで再現するという手の込みようで、これは「頑張れ!」のサインなのか!?
おしどり夫婦のような締めになりましたが、2週間に1度、怒鳴り合いの喧嘩が起こります。

writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/