コロカルでも大きなテーマのひとつである、「移住」。都市部で暮らす人が、ローカルでの暮らしを選択する理由や、実際に暮らし始めた人がどういう実感を持っているか、考えてみたけど実現できなかった人の障害になったものは何? など移住をめぐるあれこれを探っていきます。今回は兵庫県の豊岡市。ここでは、いまコロカルも加わって移住戦略プロジェクト、〈TOYOOCOME(トヨオカム)!〉を2015年からスタートさせました。まずは、3回にわたって豊岡のまちの魅力や、先輩移住者の仕事や暮らしぶり、気になる行政の取り組み、市長の考える“移住”についてお伝えします。その第1弾は、豊岡市ってどんなまち?
豊岡市・徹底解剖!
兵庫県の北東部に位置し、面積が県で一番大きな豊岡市。日本海と中国山地の山々、壮大な自然に囲まれたダイナミックな地形に、夏は海水浴、冬は神鍋高原でのスキーやスノーボードを楽しむ観光客が多く訪れます。都市部でもそのおいしさに評価が高い但馬牛や、キング・オブ・冬の味覚の松葉ガニ、米(特に、減農薬・無農薬の〈コウノトリ育むお米〉はブランド米として有名!)など豊かな食に恵まれています。あちこちに田んぼや畑が広がり、コウノトリが舞う。そんな情緒ある光景に、日本の古き良き田園風景を重ねる人も多いでしょう。
そんな豊岡市は、2005年に1市5町(旧豊岡市・城崎町・但東町・出石町・日高町・竹野町)が合併。観光業、農業や漁業、鞄産業が市の基幹産業となっています。
あなたのその鞄もMade In TOYOOKAかもしれません
まちの中心である豊岡地域は、日本一の鞄の産地。そのルーツを調べると、なんと神話の時代に遡ることに。新羅王子とされる天日槍命(アメノヒボコ)によって、柳細工の技術が伝えられたとの伝承が、712年の『古事記』にあります。豊岡鞄のルーツは、その柳細工でつくられたカゴだと言われており、奈良時代には、奈良の正倉院に上納された記録もあります。柳細工でつくられたカゴは柳行李(やなぎごうり)と呼ばれ、やがて把手がついて、鞄に進化。素材の多様化とともに豊岡の地場産業として大きく成長しました。
市役所のすぐ近くにあるカバンストリートには、豊岡鞄のショップや修理屋さんや鞄のクリーニング専門店など関連のお店が軒を連ねます。代々続く鞄の聖地ならではの充実度です。また、鞄のパーツショップや職人を育成するスクールを併設した、〈Toyooka KABAN Artisan Avenue〉など、生産地ならではの拠点もあるのです。
修理専門店には、持ち込まれた鞄が山のように待機しています。
連載2回目では、豊岡移住後に鞄職人として働き始め、いよいよこの春自らの店と工房をオープンさせるという中野ヨシタカさんにお話をうかがいます。中野さんの目に、豊岡というまちはどう写っているのでしょうか。
コウノトリと人々がともに生きるまち
そして豊岡といえば、国の特別天然記念物のコウノトリの里としても有名です。中心地から少し足をのばせば、悠々と空を飛ぶ白く美しいコウノトリに道ばたでも出会えるような環境。豊岡の人々にとって、今では“当たり前”の光景ですが、この光景が見られるようになったのも、実は最近のこと。一度は絶滅したコウノトリでしたが、1989年に飼育下繁殖(人工繁殖)に成功して以来、毎年増殖に成功し、2005年にはコウノトリ野生復帰計画における最初の5羽の自然放鳥を実施。その後自然下での繁殖も順調に進み、現在78羽のコウノトリが豊岡の空を舞っています。それでもなお絶滅の危機にあるコウノトリの野生復帰の拠点であり、保護・繁殖活動を行う〈兵庫県立コウノトリの郷公園〉では、その美しい姿を間近で楽しむことができます。
繁殖に成功してからというものの、コウノトリを一度絶滅させた過去を繰り返さぬよう、コウノトリと共生できる環境づくりを、市民が率先して行っています。例えば、コウノトリに害を及ぼさないよう、農薬を極力用いない農法を使ってお米をつくったり、コウノトリが道を歩いていたら、そっと道を譲ったり、冬場でも田んぼに水を張って餌となる小動物がいる環境を保ったり。そんなコウノトリへの気遣いは、小学生からの環境教育のたまもの。各小学校にあるビオトープやコウノトリの郷公園での課外授業で、生態系やコウノトリと人の共生に関して、全員が学びます。「コウノトリにやさしい地域は、ここで暮らす人に対してもやさしい」そう思いませんか?
〈兵庫県立コウノトリの郷公園〉では間近でコウノトリを見学できます。両翼を広げると2メートルにもなります。
城崎温泉のもうひとつの顔
『城の崎にて』で志賀直哉によって描かれた城崎は、どこか静かでもの哀しい雰囲気がありましたが、現代の城崎温泉は活気に満ちた西日本有数の温泉観光地です。昨年は海外からの観光客が増加し、21か国以上から、3万1400人もの外国人旅行者が訪れたそう。「日本の文化を体験しに城崎に来ている」。そんな旅行客が増えています。コウノトリ但馬空港からバスが運行、京都や大阪から電車で2時間強。このショートトリップ感も人気の秘密です。旅館などでは、後継者問題や従業員不足問題など課題は抱えているものの、結婚を機に東京からIターンして奥様の実家の旅館を継ぎつつ、新規事業として飲食店と、さらに地ビールの開発・販売まで始めた人がいたり、豊岡市で暮らしたい人、働きたい人を受け入れる場所でもあります。
城崎温泉の中心を流れる大谿川と柳並木。雨の中のそぞろ歩きも風情があります。
電車を待つわずかな時間でも浸かれる温泉。城崎駅前の誰もが利用できる足湯です。
また、2014年にオープンした〈城崎国際アートセンター〉は、アーティスト・イン・レジデンスとして舞台美術の創作の拠点となっています。国内外からコンテンポラリーダンスをはじめとするさまざまなアーティストが訪れ、滞在しつつ制作に励みます。その成果発表のひとつとして、アートセンター内のホールやまちなかでインスタレーションを行うなど地元の人にも楽しい、国際的な活動が行われています。豊岡市は、小中学生を対象にコミュニケーション教育にも力を入れており、性別や年代を超えて、対等な関係の中で自分を主張し、他者を理解できるコミュニケーション能力の育成を図ることを目的に、演劇的手法を用いた先進的な授業が行われています。
城崎国際アートセンター(KIAC)。photo by 西山円茄
2018年からは英語教育を幼稚園から開始するようにし、市内の全小学1、2年生にもALT(Assistant Language Teacher:外国人による英語授業の補佐)の授業を行う計画です。“海外からの観光客やアーティストと英語でコミュニケーションできる”小学生や中学生が、豊岡市で育つという将来はもうすぐです。
この豊岡教育改革に関しては、中貝宗治市長に詳しくお話をうかがいました。連載3回目でご紹介します。
海の竹野に山の日高。自然のなかで暮らしたいという夢も叶います
豊岡市の一番北、日本海に面した場所にある、竹野町。人気スポットの竹野浜は、夏には海水浴客でにぎわいます。美しい白砂と透き通る海に心癒されるでしょう。また、竹野町はユネスコの世界ジオパークに認定されている〈山陰海岸ジオパーク〉の一部。山陰海岸ジオパークは、西は鳥取県、東は京都府まで110キロにおよびます。日本海の美しい地質遺産を含む世界に認められた自然公園です。こうした環境を生かした観光への取り組みも進んでいます。カヌーやダイビング、シュノーケリングなど、存分にマリンスポーツを楽しむことができるのが魅力。自然と密着した生き方にあこがれる人にはたまらない地域です。
夏は多くの海水浴客でにぎわう竹野浜海水浴場。
竹野町が海ならば、日高町は、山。神鍋高原は近畿・中国地方を代表するリゾート地。春は山菜採りや、お散歩トレッキング、夏はパラグライダーやキャンプ、秋になれば紅葉めぐりや滝めぐり、そして冬にはスキーやスノーボードと、四季を通して自然を満喫できる高原です。ここで暮らし始めた人からは「いい野菜が安く買えて、食と住の満足度が高い!」との声も。その環境の良さから、日高町は別荘地としても有名で、「田舎暮らしに興味があるので、まずは二拠点生活をしてみる」という人もいるようです。
春夏秋冬、さまざまなアクティビティが楽しめる神鍋高原。
かの人気歌舞伎役者も愛するまち、出石
古いまち並みが残る出石町は、城下町として栄え、「但馬の小京都」と呼ばれています。古くは古事記、日本書紀にも地名が登場する歴史あるまちなのです。小さな皿に盛られた〈出石皿そば〉や、出石焼などの工芸品、そして近畿最古の芝居小屋〈永楽館〉が名物です。歌舞伎役者、片岡愛之助さんが出石町と永楽館(と、この時期ちょうど解禁になる松葉ガニ!)に魅了され、2007年から毎年〈永楽館歌舞伎〉という公演名で、豊岡ゆかりのオリジナルストーリーも交えつつ十数日間の公演を行っています。そんな伝統文化が生活に根づく出石町。移住してきた人が「出石の城下町の雰囲気も好きですが、なにより、地域ぐるみで子育てができるな、ということを実感しています」と話すように、あたたかみのあるまちなのです。
永楽館。平成20年に復元し、大衆演芸場として愛されています。
日本の四季をしみじみと味わえる但東町
そして、京都府に隣接し、豊かな緑に囲まれた但東町。毎年春には〈たんとうチューリップまつり〉が開催されるなど、美しい花があちこちに咲き誇ります。もちろん春だけではありません。秋に色鮮やかに紅葉することで有名な安国寺の〈ドウダンツツジ〉は、まるで額縁に入った絵画のような優雅さ。遠方から来るお客さんがあとを絶たない、日本初の卵かけご飯専門店〈但熊(たんくま)〉も但東に来たらぜひ立ち寄りたいスポットです。
見たものの心を奪う安国寺のドウダンツツジ。
ここまで豊岡市の特長についてお伝えしたように、観光でも教育でも“魅力”あふれる豊岡市。でも、観光で人々が多数訪れても、豊岡市の人口は少しずつ減っています。そして、移住・定住する人々を呼び込みたい。これは豊岡市だけではなく、多くの自治体の課題でもあります。魅力がないわけではない。ただ、その魅力が伝わりきれていないんだ———豊岡市はアクションを起こします。
移住戦略プロジェクトTOYOOCOME(トヨオカム)!
自然も食も文化も豊かな豊岡で、移住・定住を活発化させる新しいチャレンジが始まっています。それが豊岡に住みたい人と、住んでほしい人とをつなげる、豊岡市移住戦略プロジェクト〈TOYOOCOME(トヨオカム)!〉。
以前から、豊岡市では行政が主体となり市民や企業が一緒になって、移住を促進する取り組みは行われてきましたが、2015年からは博報堂、移住促進のウェブメディア『雛形』(オズマPR)、そして『コロカル』からなる、〈地域エディットブランディング〉チームが加わり、プロジェクトがスタートしました。
住環境や仕事、子どもの教育環境、地域の人たちとのつきあい……、移住をリアルに考えると気になることは尽きません。そこで、TOYOOCOME!では、まず、移住者13名にインタビューし、豊岡市への移住前と移住後で変化したことや、豊岡市について感じている、いいことも悪いこともすべて細かく聞き出し、このまちの移住者の暮らしを探っていきました。
そして、豊岡市への移住経験のある市民が中心となって、移住政策における豊岡市の“強み”や“フック”は何かということや、豊岡へ移住・定住したくなるような具体的なアイデアを話し合うため2度にわたるワークショップを開催。(ワークショップの様子はこちら)
第1回ワークショップの様子。市(大交流課など)、市民の有志、地域エディットブランディングチームが一緒になって豊岡の“コア価値”を発掘しました。
さらに、移住者の先輩に、豊岡暮らしのリアルな声を聞いて豊岡市のさまざまな場所を体感してもらうことを目的とした、移住希望者のためのツアー〈ヒアリングジャーニー〉を2015年9月に行い、東京や京都など大都市圏から参加者が集まりました。
これらを通して聞くことができた豊岡市への移住経験者が話す言葉はどれも実感にあふれているもの。「お金を出せばもっと暮らしが豊かになる場所もあるだろうけど、その豊かさを私は求めていないんだとわかった」「子どもと城崎温泉に行くと、いろんな国の人がいるということを自然と理解するようになり、ローカルだけどグローバルを実感している」などといった声に、参加者は一同に頷いていました。
ヒアリングジャーニーの参加者からは、「先輩移住者は個性的な人が多く、多様な人を受け入れる土壌があるんだなと思った」「豊岡市がますますわからなくなった。正確に言うと、もっと知りたくなった」「出石で子育てと家族の話を聞けて参考になった。悩んでいたが、シンプルに住んでもいいかもと思った」という声が聞かれ、移住希望者それぞれに収穫と課題が見えたプログラムとなりました。
〈ヒアリングジャーニー〉にて、先輩移住者の声を聞く。
TOYOOCOME! はまだまだ進行中。また追ってご紹介します。
次回は、先輩移住者で鞄職人の中野ヨシタカさんの、豊岡市に移住するきっかけや、住まい探し、豊岡市での転職、3人の子育て、そして起業にいたるまでのインタビューをお届けします。
information
豊岡市移住促進プロジェクト〈TOYOOCOME(トヨオカム)!〉
information
移住促進メディア『雛形』では、3回にわたって「豊岡の教育」に関する記事をお届けしています。地域の教育をより深く知りたい方は、こちらも併せてお楽しみください。http://www.hinagata-mag.com/report/10050
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コロカル編集部
credit
撮影:片岡杏子
supported by 豊岡市